筆界がはじめて設けられたのは、明治初年に実施された地租改正事業であると
言われています。
すなわち、時の明治政府はわが国の近代化と財政的基盤固めのため、廃藩置
県を断行し、土地の売買を自由にし、地券を発行して所有者を確認するとともに、
地租を徴収する地租改正事業を推し進めました。
この事業の一環として、全国的に1 筆ごとに土地の検査・測量(「地押丈量」とい
われています。)して地図を作製したのです。
この地図は、俗に野取絵図(改祖図、字切図、字限図、字図)と言われ、明治6 年
から14 年頃までに作製されました。
しかし、この野取絵図は、測量技術も未熟で、脱落や重複しているものもあり、明
治20 年から22 年にかけて再調整作業が実施されました。この作業で作られた地図
が地押調査図または更正図と称されているものです。
この地押調査図は、明治22 年土地台帳規則が制定されたことにより、土地台帳
附属地図として正本は税務署に、副本は地元市町村役場に保管され、その後、台
帳事務が登記所へ移管された昭和25 年以降は、登記所で俗に「公図」と呼ばれ、
現在まで保管されています。
その間、昭和5 年に土地台帳制度の廃止に伴い公図は法的根拠を失ったとも言
われていますが、わが国では地籍図等が作られたごく一部の地域を除き、土地の
位置・形状、つまり筆界を明らかにした地図は、この公図のほかにありません。その
ために明治時代に作られた古い地図にもかかわらず、その後の分・合筆に伴う修正
をして、今日なお筆界を表示する地図として大切に保管され、登記事務を処理する
ばかりでなく、不動産の取引や訴訟の証拠資料等として広く利用されているところで
す。
土地の境界には、「筆界」と「所有権界」の2種類があります。このふたつを区別しておかないと後の説明ができないので、まず始めにこの2種類の境界の違いについて説明します。2種類の境界についてご存じの方は読み飛ばしてください。 |
不動産登記の基本的な考えによると、「土地は明治時代の地租改正事業などによって決められた1区画 (1筆)ごとに登記され、その後の分筆や合筆を経て今日に至るのであるが、 その境界(筆界)は公の資料によって定められた公法上の線であり、私人の取り決めや所有関係の変更(所有権界の変更)によって変更することはない」とされています。 |
具体的な例で説明しましょう。
30年前に10番の土地を上図の イ-ロ の線で10番1の畑と10番2の山林に分筆し、10番1をAさんが所有し10番2をBさんが所有するという登記がなされました。その後AさんはBさんの山林の一部を開墾して自分の畑にして長らく使用しています。 Aさんは上図のイ-ロ-ハ-ニで囲まれた部分は長く自分の畑として使っているので、この部分は時効で自分のものになったと主張しています。 |
さて、10番1と10番2の土地の筆界は現在イ-ロでしょうか ハ-ニでしょうか? |
AさんとBさんが互いの土地の境界線をハ-ニとして合意しても、筆界はイ-ロです。なぜなら筆界(土地の公法上の境界線)は私人の取り決めによって変更することはできないからです。 |
また、 裁判所が「イ-ロ-ハ-ニで囲まれた部分は時効によってAさんが取得した」 という判決を下しても、筆界はイ-ロです。 なぜなら筆界は所有関係の変化によって移動するものではないからです。 |
ハ-ニを結ぶ線はAさんとBさんの所有権が及ぶ範囲を示した線 (所有権界)であり、10番1と10番2の筆界をハ-ニにするにはイ-ロ-ハ-ニで囲まれた部分を10番2から10番1へ合筆する登記が必要です。 |
たいていの土地では筆界と所有権界は一致していますが、境界問題があるときは、問題となっている境界が筆界を指すのか所有権界を指すのかを区別する必要があります。 |
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